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March 20, 2006

こどものために。

こどもの感覚で描くことと
こどものために描くことと
いうのはぼくは違うと思っているんです。

こどもというのは画一的なものでなく
大人と同じく人それぞれだからね。
で、もって子供が何を考えてるかなんて
実際のところすべてがわかるわけはない。
もちろん分かる部分はあるけれど
それはほんの一部にしかすぎないからね。
それさえもしっかりした確認がとれているわけじゃ
ないから自分がそう思っているだけかも知れない。
まあ、それは子供も大人も同じだけど。
だから、ぼくはこどものために、
こどものためを思ってという言葉を聞くたびに
この人はどこまで何を知っているのだろう?とすごく
疑問に思うのですよ。

冒頭に話を戻すと
こどもの感覚でと言うのも
まあ、こどもの感覚なんぞ分かんないので
現実的な・理論的なというのを大人の感覚とした
場合の対比にあるものとして子供の感覚では
あるんだけどね。

まあ、でも本当にそう思っているというか
言葉の使い方みたいなものの一種だとは
思うんだけどね。なんとなく良い言葉だからね。
「こどものために」って。

まあ、ようするにいつだって結論はこうなってしまうんだけど
自分の中でこれが楽しいなぁと思って描いて
その楽しさというのが作品を通してじわじわと染みて
くればいいかな、と。
それは大人・子供関係なく根源的なものの
ような気がするから。

そういう意味では現実・理論で武装されつくして
いない子供の方がより根源的なものは感じて
くれやすいのかも知れないね。
ただ、複雑な情緒的な作品の場合や思想的なものの場合
経験によって感じる考える部分が大きいので、
そういう作品はやはり大人向け
というものになるのかもね。

ただ、そういうものでも分かりやすくかつ、分かりにくく描く
ことによって大人にも子供にも受け入れられるということは
可能かもね。そういう意味では、ぼくの描きたいものの
ひとつはそういうものなのか知れない。
でもどっぷりとした情緒も描いてみたい。

どこまでいっても欲張りなのです。

ということで。では。

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Comments

う~んぼくはしょうじきこどものことなど
全然わかってないんだけど、だって
一人一人ぜんぜんちがう人間だからね。まあ
だからおもしろいんだけど。
「わかってる」っていう人に聞きたいねー
それはどういうことなのってさ。
とわいえ、なんかやりたいから、
だから、自分なりに考えて、あといろんな人の
アイデアで、なるべくひろくこどもたちのために
毎日汗をかいておりますです。
これがぼくの「こどもたちのために」。
僕みたいに学もない人間ができることって、汗かいて働くこと
ぐらいしかないからねー。

Posted by: フジムラ@SUNAO店主 | March 20, 2006 09:47 AM

ああ、なんだかわかる気がする。
ちょっと違うかもしれないけれど、
母親として「こどものために…」って恩着せがましくしたり、
もしくはレベルを下げて接することはしないようにしています。
(まあ実際のところ、そこまで計算して接するなんて出来ないから、
適当な部分もあるけれど)

くじらさんのイラストの、
オトナが見てもグッとくる部分って、
くじらさんがこどものココロをそのまま残しているわけじゃないのも、
なんとなく伝わってきます。

わかりやすく、わかりにくく描く。

うう、難しそー。
ああでも、文章も同じかも。

そして、くじらさん、
描きたいものがハッキリしているなんてうらやましいです。
わたしもマネして、書きたいものをハッキリさせることにしました。
(仕事は流れにまかせて、どんな雰囲気のもやっている部分があるので)

Posted by: ロミ姉 | March 20, 2006 11:01 AM

>フジムラさんへ
こんにちは~。実際は「こどものために」という言葉自体が多くの意味を含んでいるので、これ自体が色々な意味があるので、ぼくがイヤだな~と思う部分は、一部分であったりするんですけどね。もちろん中には真摯に取り組んでいる人もいるだろうから、この言葉自体を否定すること自体がナンセンスでもあるんですけどね。
汗をかくというのはいいですよね。こどもと一緒に汗をかく。ぼくがいつも思うのは、大人と子供も、結局は人と人だということ。遊んでやるんじゃなくて、いっしょに遊ぶ関係。そんな関係でありたいといつもおもっちょります。

>ロミ姉さんへ
うんうん、そうですよね~。なんか育児書などを聖書にしてその檻の中で、子供を育てる気はしないですね。ロミ姉さんの前の日記にあったほめ言葉の「適当」と同じく、やっぱ「適当」が一番ですよ(笑)
ぼくがコドモゴコロを持っているかどうかというのは、こどもの頃のココロって忘れちゃったんで、わかんないのです。だからあくまでもやっぱり過去の自分のココロでなく、今の自分のココロで表現できるものを表現したいなあとは思います。
描きたいものは、ほぼ仕事の中で見つかってきますね。
自分で好きに描くのと違って、仕事だとランダムに色々なものがやってくるので、ああこれは楽しい、ああこれはつまんないや、とか自分が好きなものが見えてくるのですよ。で、そん中で自分の好きなものをチョイスして次の方向性としています。でも、永久的な方向性でなく、あくまでも二股の道があってどっちにいく?こっちにいく!程度のものなので、その先はどうなるかはわからない。それがまた楽しいとこですね。

あぁ長くなっちゃんたんで、この辺で。

Posted by: 森のくじら | March 20, 2006 12:20 PM

僕が僕のBBSで「子供のため」という話を
仕掛けてしまったけど。
考えてみると
「子供のため」というのはどうでも良いね(爆)
今後は別の方向で自分が何を創りたいのか
考えていこうとおもいます(笑)。

しかし、森のくじらさんに考えをまとめて頂くのなら
もっと別のテーマの方がよかったと
ちょっと後悔しています。

Posted by: 知己 | March 21, 2006 02:39 AM

>知己さんへ
くくく。そうなんだよ。書けば書くほど本題から離れていったんで、ある意味面白かったんだけど。これはこれで、一度はちょっと書いておきたかったことなので、そのまま書いてみました。だから、あんまり返答にはなってないね。
まあ、でも、結論的には「耳をすませば」の話を読んで思ったけど、お互いに創りたいものというのは、やはりある程度同じ方向にあるのかなとは思いました。まあ、世界観の設定や、感情の捉え方やキャラクターのつくり方などなどもちろん違う部分もあるけどね。また一緒に面白いものが創れればと思います。とりあえずそれまでに修行しておきます。ではっ!

Posted by: 森のくじら | March 21, 2006 02:49 AM

>大人と子供も、結局は人と人だということ。遊んでやるんじゃなくて、いっしょに遊ぶ関係。

そーう!すっごく同意!!(笑)。
もし、なにかそれこそ「こどもたちのために」って
思ってなにかやろうとしてるときには、こういうきもち
でやった方が楽しいしね。

Posted by: フジムラ@SUNAO | March 21, 2006 02:19 PM

>フジムラさんへ
そうですね~。いっしょに遊んでいっしょに笑える仲。
そんな親子関係でありたいなぁと思ってます。
大人であれ子供であれ、その人と過ごす時間を
自分が楽しいと感じてなければ、それは反映されるもん
だと思いますからね。そういう意味ではその空気を
創ることは大切だなぁとは思ってます。

Posted by: 森のくじら | March 21, 2006 02:29 PM

>あこれは楽しい、ああこれはつまんないや、とか自分が好きなものが>見えてくるのですよ。(省略)永久的な方向性でなく、あくまでも二>股の道があってどっちにいく?こっちにいく!程度のものなので、そ>の先はどうなるかはわからない。

おお、またいいこと聞いちゃった!!
ラッキー!!!!!
ありがとう!!

「こどものため」
母親は自分を犠牲にすることが多くなって、
これはもうしゃーないことだけど、
絶対に子供に譲れない部分は大事にしたいわ(笑)。

これはあくまでもわたしの考えなのだけど、
シ◎タイナー教育の幼稚園に通わせてる…
っていうのを聞くと、わたし、異様に引いてしまうんです。
子供がアトピーとかは仕方ないけれど、
なんだかそこだけ特殊な世界のような気がして・・・。
(行ったことないけどね)
そこの幼稚園に行ったことで、
将来になにか役立つのか?は不明だもの。
親のエゴにしか思えない。

まあ、人のことなんで、別にいいんだけどね。
わたしはあくまでも、適当にやりたいです。
頑固なまでに適当に(笑)!!

Posted by: ロミ姉 | March 22, 2006 11:22 AM

>ロミ姉さん
「こどものため」
そうっすね。父親もそうだけど、やはり子供がいることによって、自分がやりたいことをやる時間というのは当然減りますよね。でも、子供のためにすべてを犠牲にする必要はないとぼくも思ってます。父親という役割ももちろんあるけれど、自分という役割ももちろん持っていてしかるべきなので。

何をやらせて、何を学ばせてというのは、うちでもよく議論の話題になるのだけれど、究極的には特殊な教育等させるのも、「普通の」保育園行かせるのも、どちらも親のエゴではあると思うのですよね。エゴという言葉は言い過ぎかも知れないけど、すくなくとも親の持っている思想によって、もしくは無思想によって、子供は行く先を決められる。よくある「子供の自由」にということで、3歳児とかに行きたいところを選ばせることはできないので、結局親が選ぶしかないんだよね。
だからこそ、やっぱり責任を持たなくちゃね。自分自身に。
価値観は人それぞれで、正解なんてものもはないから、結局、特に小さいうちは、自分の責任の元、子供に何が悪くて何が良いのかを教えていくしかない。
先に書いた、一緒に遊ぶというのと、教えるというのは矛盾するけれど、それが子育ての難しいとこですやね。きちんとすべきところはきちんとして、あとは適当。どちらかにかたよってしまっても、良くないと思うので。「頑固なまでに適当」だけど、外ではきちんとさせるというのも、ぼくは好きな考え方です。
一緒に遊ぶのも重要だけど、悪いことをきちんと悪いといってやるってのもとても重要ですからね。まあでも、悪いことの定義も難しいとこなので、ヤンキーの子がヤンキーになるのもしかたがないかな、と。
あ、また長くなってしまったので、この辺にて。

Posted by: 森のくじら | March 22, 2006 01:03 PM

くじらさん

こうして育児に関して意見をかわせることを、
とてもうれしく思います。

親それぞれ育児にこだわる部分って、
ちがいますもんね。
それが面白いところでもあり。

わたしは外出時のコドモの態度について、
鬼のように怖い母親でありまして、
(「くねくね歩くな」「きちんと座っていなさい」など)
そういうところ、自分でも気に入っています。
ふふふっ。

親のエゴか〜。
そう考えるとエゴだらけかもなあ。
いろいろ反省したり、しなかったり。

また育児関連の話題になったら参上いたします。

>ヤンキーの子はヤンキーに…
ぷぷぷっ(笑)。

Posted by: ロミ姉 | March 24, 2006 09:37 AM

>ロミ姉さんへ
どもども。
育児なんてものは本当に人それぞれでいいと思うんですよね。
育てる人も違えば、育てられる人も違うわけで。
そんな環境で画一的なもので縛れるわけがない。
親のエゴ万歳ですよ。
日々成長していくこどもたちの様子を見ながら
色々悩んだりものしながら子育てを楽しんで
いけるとよいですよね。
そんなこんなで。ではではでは。

Posted by: 森のくじら | March 24, 2006 12:02 PM

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